BC SHORT Back Country Short Ski Mountaineering

カテゴリー: 中部地方 (Page 2 of 2)

BC SHORT誕生の瞬間!? 北ア常念岳厳冬期単独1FA~ “BC SHORT”というNewモード vol.3/4

【BC SHORTが生まれた瞬間】(写真・文:yujin)

ときは2018冬、ところは北アルプスのおひざ元、松本…。

家のすぐ前を一時間に一本の頻度で大糸線が通り過ぎる。
未明の始発ともなると、凍った電線とパンタグラフとの摩擦からか、
「シューッ、シューッ」と火花を散らす音は、
すっかり閉ざされた厳冬期のいわば風物詩。

前回の「BC SHORTが生まれるまで
その2」からおよそ一年が経ってしまった。

自分事だが、一日1.5食平均の生活がもう15年くらいつづいている。
昼には食べてもオニギリ一つ、
夜はBEERとWINEと好きなものを好きなだけという食事スタイルである。
ただ、二人の子供もうえは高校生と成長するにつれ、
食べる量も増えれば好みもあるので、
自分が好きなものだけとはさすがにいかず、
週5で夕食当番をしている身として献立にはけっこう気を遣っているのだ。

ちなみに昨夜は、豚ひき肉と春雨とネギの炒め物に漬物、
そしてご飯に味噌汁。
あと、オメガ3系の良質な油はなるべく摂るようにしている。
たとえば、亜麻仁オイルやエゴマ油。

人間は、良質の油と水と腸が大事だとおもっている!

良質な油を摂って脂肪を燃焼させやすい体にすることと、
腸が喜ぶ食生活をすること。

話が逸れたついでに触れておくとすると、
作シーズンは山仲間からいただいた野生のシカ肉やイノシシ肉を焼肉にしたり、
またはスーパーで手に入れた牛肉といっしょに
燻製にしたりしたものをザックに忍ばせ、
あとは水だけ持って北アルプスの後立山連峰を縦走したりした。
脂肪を効率よく燃焼させてエネルギーとして使う、
ファットバーニングの身体に興味がわいたからだ。

ある説によれば、
そもそも人間の体は糖質をエネルギー源としてつくられていないそうである。
人類400万年もの間、じつは体に蓄えた脂質をエネルギー源として生きてきた。
穀物を栽培してその糖質からエネルギー得るようになったのは、
今からたった1万年前ということ。

現代の精神的なものをふくめたあらゆる病気、肥満などが、
それら砂糖や炭水化物を減らすことで改善されるデータもあるほどだ。

こうして考えると、
わたしたちは、もはや大洗脳社会に生きているといってもいいだろうか。

大事なのは、あらゆる情報を取捨選択する術を身につけ、
なおかつ自分で考えて試してみることだと思っている。
それには、山のような精神や体が研ぎ澄まされるフィールドはもってこいである。

先の水と燻製の話にもどるが、いやはや不思議というかなんというか、
登り返しで力が入らなくなってくるなどまだまだ検証の余地はたくさんあるが、
実際は水だけで10hは行動できたということ。
しかも、消費エネルギーが顕著な山の縦走だ。
まだまだ普段の食生活をただしていけば、さらに動けるはず。

と言いつつも、自分自身、お米が大好き。
山にときおり持っていくオニギリや、
夕食に少量だけどいただく白米はやはり外せない。
正月の雑煮なんて大好物である。
今後もバランスを大事に美味しくいただいていこうと思っている。

また、文章を書くのはどうしても空腹を感じるので、
毎朝飲んでるネパール珈琲に、
グラスフェッドのギー(ないときはMCTオイル)を入れて楽しんでいる。

というのは空想で、ネパール珈琲を切らしてるので、
最近はもっぱら長らくお世話になってきたゴールドブレンドだ(笑)

余談だが、ネパール珈琲とは、
ご縁があって文字通りネパールに住む生産者から、
今後YAMANOVA(山や冒険をテーマとしたコミュニティ)
が直接に取り引きをして、販売するという素敵なプロジェクトである。

予想どおり前置きがながくなった。
さて、BC SHORTの話題。

やや大げさなタイトルだが、
ええい遠慮せず書いてやれい~!とばかりに、
「BC SHORTが生まれた瞬間」などと見出しをつけてみた。
結果からいうと、やり始めて2シーズン目である2017年2月に、
厳冬期常念岳ソロBC SHORTを無事に達成した。
その日を、「BC SHORTが生まれた瞬間」とさっき決めた(笑)

その日は晴天でまたとない厳冬期(2月までそういうらしい)の
ラストチャンスだった。
距離は、安曇野にあるほりで~湯の先の閉ざしている林道ゲートからスタートし、
常念岳東尾根をひたすら詰める山頂の往復約22㎞。
累積標高差は±2,100m。

ソロではペースが落ちることがおおいので、
4年前の0300スタートより一時間早めた0200スタートとした。
ゲート先からは例年雪があるのでスキー&シールでのハイクアップで始めるのだが、
あいにく雪が少なく、ブーツでそのまま尾根の取りつきまで歩き出す。
ところが、予想外に融雪がすすんでいたので、
朝令暮改よろしくさらに林道を歩き、まゆみ池の上の林道から東尾根に合流する。
じつは、このとき林道ショートカットで谷筋をつめたときに猛ラッセル
(深い雪のなかを自力で登る)に遭ったかとおもえば、
分岐を間違えたりで30分ほどロスをする。

すくなくとも、自分にとっては里山でブンブンSHORT SKIしてるだけじゃなく、
ビッグマウンテンもやれることを証明するべく挑んだ、
BC SHORTでの厳冬期常念岳1DAYという未知のチャレンジだったし、
このスタイルで一つの結果を残したいとそれまで孤軍奮闘やってきた。
想定外はつきものとはいえ、
たとえ30分であろうとタイムロスはけっこうなネガティヴ要素である。

Tree line(森林限界)約2,200mまで、
経験から5hくらいで行ければいいさ…
とあらゆる邪念といっしょに”いなす”ことにする。

余談2だが、わたしはひどい花粉症で、
もう20年以上まえだと思うが、あるときこの“いなす”ことをおぼえてからは、
まったくマスクもなにもせず花粉症から解放された。

もちろん、涙目でクシャミの波状攻撃にたまに襲われることがあろうと、
わたしは花粉をいなすことに成功しているとおもっている。
“いなす”って心の技術だな(笑)

じつは、この2週まえに当東尾根をやはり同スタイルのソロで試していた。
執拗なラッセルと中途半端な気概もあっただろうか、
目標の1,955mの尾根上にある小ピーク手前で引き返すという体たらく。
ただし、木立ちと急斜面の長い尾根を圧倒的な速さで
SKI DOWNが可能であると経験できたことは、相当な自信につながっていた。

しかも、ショートSKIに付けているテックビンディングでも、
ヒールフリー(踵を固定しない)で滑って、
小さな登り返しもなんなくこなせることはすでに実証済みだ。
なんども同スタイルで入ってきた里山や北アの前山である
鍋冠山でのトレーニング経験はだてじゃねえぞ(笑)

さて、ソロラッセルと雪でかしがったいくつもの枝雪をストックで落としながら、
また、シールパーツの落とし物に戻ったりとロスしつつも、
森林限界に約6h半で到達した。
最速記録よりもすでに90分遅れていた。
ただ、以前より1h早くスタートしたことで気持ちに余裕はあった。
ここまでは、言ってみればおもに体力と根気だけでこれる前哨戦である。

ここからの、
木はなく風に叩かれた艶やかな山頂へとつながるリッヂライン(尾根)は、
街から眺めるには本当に美しいが、
ひとたび風が吹けば−40℃を優に下回る厳しい世界でもある。
幸いこの日の風は穏やかで、視界も良好、
最高のコンディションが整っていたのだが、やはり厳冬期ソロは甘くない。

トラバース(尾根上の小ピークや岩稜などを避けて通るために迂回すること)
する雪面は硬く、一歩一歩スキーアイゼンとスキーのエッヂを食い込ます。
一度バランスを崩せば真っ白な硬い急斜面は無情の滑落を黙ってみるのみで、
大ケガじゃ済まないだろう。ソロでもとくに危険なときはこんなときだ。

パートナーがいればアンザイレン(ロープで確保しあう)や、
万一滑落してもその後の対処がまだましだが、ソロではそれができない。
足のスパイクを一たびミスしたときのリカバリーは、
左右のストックではまず出来ないし、
山側にピッケルを替わりに持ったとしても、
スキーのハイクアップがぎこちなく難しい。

面倒でも、命が惜しければブーツアイゼンとピッケルスタイルに変えるか、
パートナーと来ることだ。
ミスの初動から第一次のリカバリーできる術を持たないことは、
リスク対策が希薄ということでもあるからだ。

でも、これは持論だが、
そんな超集中状態にあるときの技術は普段よりも格段にレベルが高いし、
技術や体力や知識や経験は、
装備に代わるものとしてじつはおおきく寄与していると思うのだ。

ハイクアップの技術に自信はあったが、
さすがにこの後、ウィペット(BD社のストックで、
グリップの上にピッケル機能がついたもの)を1本購入した。

森林限界以降の幾度とあったトラバースはこの日の核心だった。
これは結果論だが、
経験上ラッセルや見えない落とし穴のおおい
この東尾根や前常念から山頂への馬の背尾根は、
この日はブーツアイゼンがもっとも効率よい選択肢であった。

要するに例外をのぞいて、
スキーを履いてなくとも雪面に足が埋まらないほど
硬い絶好のコンディションであったということだ。

スタートから10h10min後の1216PM、
SHORT SKIをザックに背負ったスタイルで、
2,857mの常念岳山頂でセルフタイマーのボタンを押した。

厳冬期北アルプス山頂への到達から
SHORT SKI DOWNという未知の体験まで、
パノラマの絶景と最高の天気ということも相まって、
20分を要した。山頂からみえる自分が住む町がみえる。

あそこまで、どうしても無事に帰りたい…。
成功して、帰りに贅沢にラーメンを食って、
いつものSEIYUでプレミアムモルツを買って帰ってやろうと思った。

BC SHORT誕生の瞬間!? 北ア常念岳厳冬期単独1FA~ “BC SHORT”というNewモード vol.2/4


※この記事は、2013年2月14日の
常念岳厳冬期1DAY登山から派生したものです

私は、相も変わらずに南北に細長くのぼる松本・安曇平の東側に座する、
筑摩山地の2,000m級の美ヶ原や鉢伏山へ、3月に入ってもスキーで登っていた。
2009年から一人でチャレンジをつづけている、
山岳スキー日本選手権という、
スキーで登る・スキー担いで登る・滑るといった、成績こそ中庸であったが、
そのキワモノ系のレースを終えるまでスキーブーツは脱ぎたくない、
そんなことがなんとなく毎年の恒例となっていたからだ。

ワカンでもスノーシューでもない、
やっぱスキーなんだよ…と一人気を吐いて、
誰もスキーでは来ないような山のシングルトラックや、
藪の濃いエリアをスキーで登っていると、さすがにハイクアップが上達したようだ。
スキーアイゼンさえ着ければ、限界はもちろんあれど、
わりと自由自在にどこでも登れるようになっていた。
ただし、氷化した北ア針ノ木雪渓の急斜面などでびびるのは、
いまも昔も変わり映えなしである。

2013年2月14日午前3時。
北アルプス常念岳の麓にある“ほりでー湯”の先にある冬季通行止のゲート前に
前述の3人は集合した。
凛とした、張り詰めた空気。ゲートの先は閉ざされた冬の世界である。

2012年の厳冬期から数えて、常念岳へとのびる南東尾根・東尾根の偵察登山は、
各々延べ3-4回はすでに終えていた。
ただし、いずれも森林限界までが精一杯だった。
なぜかといえば、ノイチ氏以外は普段アルプスを1DAYスピード登山してるので
体力こそあれど、本格的な雪山の経験がすくなく、
スノーシューまたはスキーから、
ブーツアイゼン&ピッケルへと装備チェンジをしつつ、
山頂を目指すアルパインスタイルだからだ。
ゆえに、前常念岳手前の急な岩稜帯のルートファインディングやアイゼンワークは、
まだまだ心もとない。

いっぽう、ノイチ氏にとっては、
まさか厳冬期常念岳を1DAYでやることは夢にも思わなかったわけで。
体力差を感じた昨年から相当に走り込んできていて、
ゆえに一大決心をして挑む山行と位置づけをしていた。

三者三様、一発勝負というわけだ。

さて、登山スタイルだが、
ノイチ・西田は登りも下りも当尾根にもっとも適合しているスノーシューをチョイス。
もちろん異論なし。
いっぽう私は、前日まで”考えたが”やはりスキーをチョイスした。
スキーはそれまでに3度この尾根で試してきて、
登りはスノーシューに時折遅れはするが、ラッセルでの有利性があり、
藪や急登のスキーさばきはすっかり体得していた。
また森林限界以降は、スノーシューやスキーはデポをして、
ブーツアイゼンスタイルで登るので、まず問題なくいけると踏んでいた。

ではなぜ考える必要がある?

それは、スキーでこの厳冬期常念岳を決行するときの問題は、
普通なら圧倒的有利であるはずの下りにあったのである。
以下に、当日の記録をまじえつつ、スキーの特性について考察してみたい。

登山道というものは、谷と谷の間にある隆起した場所、
いわゆる尾根上につくることが多い。
もちろん、水が流れる谷筋・沢筋といった尾根とは対称的な場所にもルートはおおい。
どちらも、日照・風当たり・アップダウン・落石・滑落、
雪山でいえば雪崩などの条件やリスクにおいては、一長一短である。

雪山を登る場合は、深く雪に閉ざされた夏道とはほぼ無縁の世界だ。
雪崩の巣である谷筋ではなく、ルート選びもしやすく、
雪崩リスクの低い尾根筋を登っていくことが一般的である。
ただし、そこには夏に登山道が必ずしもあるわけではないので、
木立が密集している尾根もあれば、また、沢筋と違ってアップダウンがあるし、
細く切り立ったヤセ尾根の場合は滑落のリスクさえ高まる。
それに、気温の低い3,000mの稜線で強風が吹けば、
いわゆる”風”などと悠長なことを言っていられないほど、
自然の脅威に曝され、凍傷、
低体温や滑落を誘発する怖ろしいものに変貌するのである。

冬に北アルプスの稜線で強風が吹けば、
体感温度がマイナス40~60℃なんてことはざらである。

さて、そんな常念岳を東尾根から約2,000m登れば、
当然2,000m下りてくるわけだが、
スキーのデポ地点から最低でも1,000mをスキーで降りてくる。
これぞスキーの醍醐味!
スノーシューで3時間かかるところを、スキーなら1時間でぴゅーっと!
さらに、もしそこがゲレンデなら10分とかからないだろう(笑)

ただし、スキーをやらせてくれたらの話…。

常念岳東尾根は、
おそらく古道があったと推測される平均して登り降りしやすい勾配ではあるが、
スキーで滑って降りるとなると、登山道のない密集した木立ちは凶器そのもので、
ターンをようやく切ったあとには、すぐ木が立ちはだかるという連続である。
また、尾根どおしというのはどうしても、細かなアップダウンが付きもので、
踵を固定したスキー滑走モードにしたのも束の間、
気づけばカニ歩きや逆ハの字で登り返す始末。
ゆえに、ブーツのみ滑走モードで固定して、
踵のみフリーでゆっくりとボーゲンや横滑りで降りてくるスタイルが、
もっとも山スキー上級者でない私たちが苦悩の末生み出した
順当に降りてこれるスタイルではあるが、
雪質・急斜面・木立ち・藪・大腿筋の乳酸・転倒と、やはり甘くはない。

その点、スノーシューはそんなスキーを横目に、
ウサギとカメのカメさんよろしく、
細かなアップダウンもなんのその、
立ち止まることなくあたかも山頂に到達したあとの消化試合の様に、
淡々と歩みをすすめる最速のマテリアルだ。

事実のこの日、約9hで山頂にめでたく到達した3人。
厳冬期常念岳1DAYの折り返し地点である山頂では、
いままでの労苦を嚙みしめつつも、
ほんの3分ほどだが至福のときを過ごしていた。

しかし、そのなかにあってただ一人私においては、
晴れ晴れとしない心境でこの先のスキーを慮っていた 。

(※もちろん、
前常念直下のトラバースにおけるピッケル&アイゼンワークなど、
気の抜けない箇所は多く、森林限界までは緊張の連続である)

「先に下山してて構わないよー」

森林限界からのスキーで、一発目に大転倒したわたしは、
あとの2人に笑顔でそう告げた。

せっかくだから一緒に下山しよう、となんども言ってくれていた2人が、
さすがに業を煮やして良いペースで下山をスタートしたのは、
おそらく10回くらい転倒した頃だろうか。

いよいよ、ここからが勝負!
転んでもカッコ悪くても、
1,800mの小ピークの先の疎林地帯で必ずスノーシューの2人をシュッと抜いてやる…。

 

じつは、この数年後にわかることだが、
このときの私はブーツをウォークモード&スキーをヒールフリーで滑っていたらしく、
少しでも後傾になるとブーツのカフ(ふくらはぎに当たる部分)がフレキシブルなので、
たちまちバランスを崩して転倒するという繰り返しだったのである。

少なく見積もっても、この日30回は転倒しただろうか。
度重なる転倒から、スキーの煩わしさに、
それならと、ブーツで降りようと試みれば、
たちまち雪面に股下まで埋まるという現実。まったく進まない…。

ときおり街がみえる。うちの子供たちも今頃下校の時刻だろうか。
まさか、家で威厳に満ちたオトーサン?!
である私が、こんな山ん中で不格好に転んでは起き、
木に激突し、歩いては埋まり…という愚かな姿など、
想像だにしないだろうな…。あ~あ、の心境である。

 

午後4時35分、
彼らに一度も追いつくことなくほうほうの体でクルマに戻ってくると、
ノイチ氏が待っていてくれた。

2人のクルマにあったチョコレートは、
待ってるお子さんのために足早に帰った西田からの贈り物であった。
西田の15分後にノイチ氏、そしてその25分後に私という記録であった。

精神力・体力ともに使い果たした。
もう登山はいい、というやり切ったときの心境も十分に感じている。

満身創痍であったが、
気持ちは厳冬期1DAY常念岳をとうとう達成したという喜びで、
晴れ晴れとしていた。

 

BC SHORT誕生の瞬間!? 北アルプス常念岳厳冬期単独1FA~ “BC SHORT”というNewモード vol.1/4

【BC SHORTが生まれるまで】
※この記事は、2013年2月14日の
常念岳厳冬期1DAY登山から派生したものです


いま、一昨日やり終えたばかりのこの登山の心地よい余韻に
ひたりきっていて、
朝食のオリーヴオイル入り野菜ジュースと珈琲を飲みながら
これを書いている。

普段から、朝食はこのオリーヴオイル入り野菜ジュース、
昼はほどほど、すこし早い夕食は、
BeerとWineを心ゆくまで愉しみながら、
料理をしつつ気兼ねなく家族団らん食事をし、
一日を21時ころに終えるのが常である。
それは、午前に1DAY北アルプス登山があってもそう。

そんな食生活が奏功してるのか、
はたまた身体自体が山慣れしてきたのか、
夏の常念岳&蝶ヶ岳2座の周回は、
もはや水だけで行って帰ってこられる体に、
ようやくなってきたってものでぇい(エッヘン)。

(注:うそぶいているが、このパターンは、
縦走の登り返しでは、その実バテる(笑))

しかし!1DAY登山といえども、
10h以上冬山で動きつづけることは、
一日1.5食をかれこれ10年以上している私にとっては、
やはりちょっとした事件である。
さっきから、今日の昼は近くの中華食堂でチャーシュー麺を
食べることばかり考えている。
頭の右上に常念、左上にチャーシュー麺。
なぜだか筆致もなめらか、集中力が増すのである。

話は遡って、2012年の厳冬期だっただろうか、
本連載のタイトルにもある1FA(1day Fast Alpine)といって、
春夏秋冬をとおして北アルプス日帰り登山をおもに好んでやっていた私は、
ここ松本平にある我が家からもよくみえる、
北アルプス常念山脈主峰の常念岳(2,857m)を、
1FAできないかと妄想を開始した。

ちなみに、1FAでは、
標高約2,500m以上、標高差約1,000m以上とゆるく定義づけしている。

もっとも、当時(2009~2012年)は1FAではなく、
「快速trek」や「1DAY SPEED登山」などとネーミングした、
仲間やソロで、
朝飯前に往復する朝・常念や朝・蝶ヶ岳、朝・燕岳に朝・爺ヶ岳。
家から25㎞ある登山口までを自らの脚で走り、
プラス登山してまた走って帰ってくる家・常念。
それに、お隣の蝶ヶ岳をプラスした、超!家・常念などと、
話題性重視の登山スタイルは、まわりからすると、いかにも軽くみえたようだ。

いま改めて実感するに、この文章がそもそも軽い。

ただし、三股駐車場~常念岳山頂への登りは1h 50min台、
これに蝶ヶ岳をいれた周回は4h 59min台。
また、中房や三股から槍ヶ岳の山頂にタッチし、
周回ないしは往復する”槍イチ”や、
それを北鎌尾根経由でいく1DAY北鎌ソロなど、
見た目の軽さとは裏腹に、その実相当な本気モードでやってきたことだけは、
ここで誤解のないように自分への慰めふくめ、一応記述しておくとする(笑)

ちなみに、2009年4月の山岳スキーレースを皮切りに、
フルからウルトラマラソン、トレイルランレースに山岳競争など、
20㎞から120㎞までの国内外の様々なレースにもチャレンジしてきたが、
いまは自分でルートや道具を考案する
MIXスピード登山や前述の1FAがおもなフィールドである。

やや前置きが長くなったが、厳冬期の常念岳は、
林道が冬季閉鎖されているゆえに、山頂までの距離は夏の比ではない。
記録をネットにて探してみるも差しあたって幕営の2DAYSこそ散見されるも、
1DAYはまず見当たらなかった。

となると、じゃあやってみようじゃない、
というのが1FAプレイヤーの性というもの。
早速、仲間と前常念から麓に恐竜の背のように
二本伸びる尾根の下見に出かけた。

単純なコースプロフィールとして、
山麓にある“ほりで~湯”の先にあるゲート-東尾根(もしくは南東尾根)
-前常念岳-常念岳の往復である。
沿面距離は往復で22㎞、累積標高差は約2,100mと、立派な1FA である。

このチャレンジのパートナーには、
2014年に日本海から太平洋へアルプス経由で横断する、
トランスジャパンアルプスレースで、
女性唯一の完走を果たして脚光を浴びることになる、
冬はテレマーカーの西田由香里。
その後、登山歴も数十年というベテランの
ノイチこと野田一郎氏が、合流することになる。

まずは、町から常念にむかって左をはしる南東尾根へ
西田と山スキーを履いて出かける。
南東尾根の取りつきは、
車をデポする標高約800mのゲートから歩いて6㎞強で標高1,200m弱。
末端のまゆみ池から疎林地帯を狙って一気に400m登って
標高1,700mの小ピークを目指すのだが、
いやはやこれが急登と藪があいまって、まったく捗らないのである。

やはりスキーは現実的じゃない!?
を嫌というほど思い知らされるのは、じつはこの後なんだが…。

街から見える恐竜の背のような尾根、その2,000m付近で初回は引き返した。
いま思えば、
よくぞスキーアイゼンなしであの藪と急登の尾根をキックターンだけで登っていったなと感心もする。ただし、厳冬期の1DAY常念岳を達成するのはもしかしたら夢の話なのかもしれない…、
そんなことが私の頭の中の大部分を占有しだしていた。

成功するには体力、テクニック、気象条件、雪質、そして強いハート…。
そのどれもが必要不可欠であった。

しかし気持ちというのは可笑しなもので、
数日も経てばその空気感はどこへやら。
気分を入れ替えて今度はノイチ氏をふくむ3人で同じ南東尾根をつめた。

今回はスノーシューを使用。
予想どおりスキーより短くて急登も得意なだけあって、
ぐんぐん標高をあげていく。スノーシューは表面積がスキーよりも小さい分、
まゆみ池からの急登400mアップの深雪ラッセルには苦労したが、
あとはスイスイだった。

じつはこの”スイスイ”がくせ者で、
その過不足なくこなせる様は、なんというか、
スキー登山にある緊張感や屈辱感、または抑揚みたいなものがまるでなく、
少なくとも自分の記憶にはなにも残らない。

3月の啓蟄となり、長い林道の雪解けもいっきにすすみ、
このチャレンジは2013年への持ち越しと決定した。

ただし、
下見した南東尾根の一本北をはしる東尾根のほうが
1FAをやるにはさらに有利かも、という仲間からの情報もあり、
この厳冬期常念岳1DAY、
いわゆる1FAへの前途は明るく2013年へ引き継いだのだった。
いささか気持ちは清々しくもあり、
また不向きなスキーでいけない悶々としたものがあったりと、
心中は複雑だった。

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